The Red Room
BDSMだけど穏やかな、二人で暮らす日々。
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奴隷という言葉
このところ、色々物思うこと多く・・・。
他人に優しくなかったり、余計なことを考え過ぎてしまったり、主の何気ない一言に過剰反応してしまったり、泣いたり。
実にまあ・・・ぐちゃぐちゃしていた訳ですが。
ずっと話を聞いてくれて、きちんと答えてくれる主にいつもながら感謝する。
迷いもとまどいも、全てそのまま話すようになって随分になるな・・・。
(題名と写真が全然関係ないですが^^;)
主は私とこうして過ごすようになってから、他人に寛容になれるようになったと言う。
私は真逆。何だかさらに気が強くなった様。
でも、恋がうまくいっている時は大体、男性は丸くなるもの、女は尖るもの。
だから私たちもこれでいいのかも知れない。
主に言われた。
「他の人の言う事に、心ぶれなくていいよ」
「しおりには愛されてる自信をもってほしい」
「僕が全力で愛してる、それだけの価値がある女なんだって自信もちなさい」
それが難しいのだけど・・・^^;
でも、そう自信を持たないのは、主に対して失礼・・・。
私は自分を『主にとっての奴隷』だと思ってきた。
当然、他の人から『奴隷という生き物』と見られるとは思っていなかった。
でも、そういう見方をする人の方が多いということに、このブログを始めてから気づいた。
奴隷という階級、奴隷という立場、言葉は何でもいい。
当たり前に女としては見られず、奴隷という型を前提に話をされることに戸惑った。
主はずっと前から「他の人に迎合する必要も卑下する必要もない。毅然としてればいいよ^^」と言ってくれていた。
私もその通りだと思い、そうしてついてきた。
なのに、このブログが始まってから、なぜこんなに言葉が通じないんだろう、私も相手の言っている言葉の意味がわからないことが多いのだろう。それに悩み続け、主に「ぶれなくていい、自信をもちなさい」と言われて、ようやくこの認識の違いに気づいた。
私は主の奴隷です。
それは、主が愛する女を奴隷にしたい人だから。
私たちにとって主従であることが一番自然な恋愛の形だから。
だから奴隷でいる。恋人として、よろこんで奴隷でいられる。
私は主の奴隷だけど、ただの一人の女です。
『奴隷という生き物』ではない。
主がそう望まない限りは他の人から奴隷と扱われる理由はないと、言いきることにしました。
主も「しおりは僕の奴隷で、女だよ」と言ってくれますので。
こうして、穏やかに。
主との不思議なめぐりあわせに感謝する。
静かに、主の許でずっと過ごしていく。
他人に優しくなかったり、余計なことを考え過ぎてしまったり、主の何気ない一言に過剰反応してしまったり、泣いたり。
実にまあ・・・ぐちゃぐちゃしていた訳ですが。
ずっと話を聞いてくれて、きちんと答えてくれる主にいつもながら感謝する。
迷いもとまどいも、全てそのまま話すようになって随分になるな・・・。
(題名と写真が全然関係ないですが^^;)
主は私とこうして過ごすようになってから、他人に寛容になれるようになったと言う。
私は真逆。何だかさらに気が強くなった様。
でも、恋がうまくいっている時は大体、男性は丸くなるもの、女は尖るもの。
だから私たちもこれでいいのかも知れない。
主に言われた。
「他の人の言う事に、心ぶれなくていいよ」
「しおりには愛されてる自信をもってほしい」
「僕が全力で愛してる、それだけの価値がある女なんだって自信もちなさい」
それが難しいのだけど・・・^^;
でも、そう自信を持たないのは、主に対して失礼・・・。
私は自分を『主にとっての奴隷』だと思ってきた。
当然、他の人から『奴隷という生き物』と見られるとは思っていなかった。
でも、そういう見方をする人の方が多いということに、このブログを始めてから気づいた。
奴隷という階級、奴隷という立場、言葉は何でもいい。
当たり前に女としては見られず、奴隷という型を前提に話をされることに戸惑った。
主はずっと前から「他の人に迎合する必要も卑下する必要もない。毅然としてればいいよ^^」と言ってくれていた。
私もその通りだと思い、そうしてついてきた。
なのに、このブログが始まってから、なぜこんなに言葉が通じないんだろう、私も相手の言っている言葉の意味がわからないことが多いのだろう。それに悩み続け、主に「ぶれなくていい、自信をもちなさい」と言われて、ようやくこの認識の違いに気づいた。
私は主の奴隷です。
それは、主が愛する女を奴隷にしたい人だから。
私たちにとって主従であることが一番自然な恋愛の形だから。
だから奴隷でいる。恋人として、よろこんで奴隷でいられる。
私は主の奴隷だけど、ただの一人の女です。
『奴隷という生き物』ではない。
主がそう望まない限りは他の人から奴隷と扱われる理由はないと、言いきることにしました。
主も「しおりは僕の奴隷で、女だよ」と言ってくれますので。
こうして、穏やかに。
主との不思議なめぐりあわせに感謝する。
静かに、主の許でずっと過ごしていく。
ここは主の世界
アン・ライスという作家がA.N.ロクロール名義で書いた『眠り姫』という本をご存知だろうか。
全3巻、グリム童話やペロー童話の『眠れる森の美女』から、眠る王女がめざめるシチュエーションだけを取り出した、全く別の成人向けの物語。
眠り姫をめざめさせたのは、異国から来た王子のキスではなく、王子による強姦。姫は晒し者にされながら裸のまま王子の国に連れて行かれ、隷属と懲罰と調教により愛し愛される世界を知り、自分の中のさらに凶暴な想いから、反抗と逃亡によってもっと厳しい場所へと自分を堕とし・・・そんな風に物語が展開していく。
最初に姫が連れて行かれた、王子の母国。
その宮廷ではたくさんの他国の王子王女が奴隷として飼われている。
それぞれの奴隷には世話係がつけられていて、毎日大切に体を磨き上げられ、髪を結いあげられ、裸体を宝飾品で飾り立てられ引き出されて弄ばれる。
この世界観が、主の想うこのSLでのBDSMと近いという。
まだ私が、恋人として愛されているのをわかっていても、それと自分の奴隷という立場(身分?)がどうつながるのかがわからなくて、苦しんでいた頃。
ともすれば卑屈になり、その暴走で自虐にまで陥っていた頃。
自分は主の恋人という最高のポジションをもらった。だけどそれは同時に、奴隷という最低のポジションも受け入れなければいけないということなのかと泣いた私に、主は
「もし僕が昔の王とか貴族みたいな立場だったら、奴隷のしおりに使用人を付ける」
「もちろんしおりが使用人に何かを命じることは出来ないんだけど、しおりは僕のことだけを考えて居ればいいように、身の回りのことは使用人にさせる^^」
そう言って、この本を教えてくれた。
私は今も自分の奴隷という立場がよくわからない。
端から見たら私は従順に仕え服従しているのだろうけれど、そうしている意識は皆無。
けれど今、私は自然に跪き、主の無言の内に主の望む行動をとりたいといつも思う。
それは愛し愛されているせつないほどのしあわせを感じているから。
恋人の喜ぶ顔が見たくて、そのために何かをする。それとまったく変わらない。
関係に不安を持たないからできる。そうでなければ、こんなことを続けられるわけがない。
一人の大人の女としてきちんと尊重されているから、屈辱でぼろぼろにされることを受け入れられる。
それをマゾヒストではない、奴隷ではないと言う人がいるなら、言ってもらってもかまわない。
私は自分が健やかに生きていくために自分を守らなければいけないのだから。
主は、自分に都合のいい奴隷を作ろうとしたことが一度もない。
暗示にかけるのがこれだけ上手な主なら、何もかもに怯えきっていた私を自分に都合のいい奴隷の型にはめることは、簡単だったはず。
でも、一度もそうしようとしなかった。
大切にされている。
同じだけ、私も主をかけがえなく想い、大切に想う。
ここは主の望む世界。私はそれの構成要素でいることが、限りなく嬉しい。
(『眠り姫』は、うっとりするようなBDSMの世界を夢見る人にお薦め。^^)
(ふてくされの顛末は、昨夜主がインした途端にロックを解除し、私に平謝り。
「ごめん!」「向きが変えられるって素敵w」「ごめんね^^;」「動けるってなんて素敵なんでしょうwww」
少しだけ、ちくちくと主をからかって、大笑いで終わった。
まあこんな日もある。写真撮っての日記アップも怒られないで済んだし^^;
笑い事で済んでよかった。色々心配してくれた友人Iに感謝。
全3巻、グリム童話やペロー童話の『眠れる森の美女』から、眠る王女がめざめるシチュエーションだけを取り出した、全く別の成人向けの物語。
眠り姫をめざめさせたのは、異国から来た王子のキスではなく、王子による強姦。姫は晒し者にされながら裸のまま王子の国に連れて行かれ、隷属と懲罰と調教により愛し愛される世界を知り、自分の中のさらに凶暴な想いから、反抗と逃亡によってもっと厳しい場所へと自分を堕とし・・・そんな風に物語が展開していく。
最初に姫が連れて行かれた、王子の母国。
その宮廷ではたくさんの他国の王子王女が奴隷として飼われている。
それぞれの奴隷には世話係がつけられていて、毎日大切に体を磨き上げられ、髪を結いあげられ、裸体を宝飾品で飾り立てられ引き出されて弄ばれる。
この世界観が、主の想うこのSLでのBDSMと近いという。
まだ私が、恋人として愛されているのをわかっていても、それと自分の奴隷という立場(身分?)がどうつながるのかがわからなくて、苦しんでいた頃。
ともすれば卑屈になり、その暴走で自虐にまで陥っていた頃。
自分は主の恋人という最高のポジションをもらった。だけどそれは同時に、奴隷という最低のポジションも受け入れなければいけないということなのかと泣いた私に、主は
「もし僕が昔の王とか貴族みたいな立場だったら、奴隷のしおりに使用人を付ける」
「もちろんしおりが使用人に何かを命じることは出来ないんだけど、しおりは僕のことだけを考えて居ればいいように、身の回りのことは使用人にさせる^^」
そう言って、この本を教えてくれた。
私は今も自分の奴隷という立場がよくわからない。
端から見たら私は従順に仕え服従しているのだろうけれど、そうしている意識は皆無。
けれど今、私は自然に跪き、主の無言の内に主の望む行動をとりたいといつも思う。
それは愛し愛されているせつないほどのしあわせを感じているから。
恋人の喜ぶ顔が見たくて、そのために何かをする。それとまったく変わらない。
関係に不安を持たないからできる。そうでなければ、こんなことを続けられるわけがない。
一人の大人の女としてきちんと尊重されているから、屈辱でぼろぼろにされることを受け入れられる。
それをマゾヒストではない、奴隷ではないと言う人がいるなら、言ってもらってもかまわない。
私は自分が健やかに生きていくために自分を守らなければいけないのだから。
主は、自分に都合のいい奴隷を作ろうとしたことが一度もない。
暗示にかけるのがこれだけ上手な主なら、何もかもに怯えきっていた私を自分に都合のいい奴隷の型にはめることは、簡単だったはず。
でも、一度もそうしようとしなかった。
大切にされている。
同じだけ、私も主をかけがえなく想い、大切に想う。
ここは主の望む世界。私はそれの構成要素でいることが、限りなく嬉しい。
(『眠り姫』は、うっとりするようなBDSMの世界を夢見る人にお薦め。^^)
(ふてくされの顛末は、昨夜主がインした途端にロックを解除し、私に平謝り。
「ごめん!」「向きが変えられるって素敵w」「ごめんね^^;」「動けるってなんて素敵なんでしょうwww」
少しだけ、ちくちくと主をからかって、大笑いで終わった。
まあこんな日もある。写真撮っての日記アップも怒られないで済んだし^^;
笑い事で済んでよかった。色々心配してくれた友人Iに感謝。
失った自由、手に入れた自由
膝をついている写真がほとんどだということに気がついた。
ブログを見直してみても、まだ使っていない写真を見ても、跪いていたり、手をついていたりするものばかり。
だからと言って、私が普通に座ることを禁じられているわけではない。
こうして一緒にビーチの椅子に座り、私は足を投げ出していることもある。
前の記事の時間の中で、主はこう言っている。
「凄い数のHUDでしおりを拘束してるんだよ^^」
「そう、だから自由だけど自由じゃない」
「僕の許す範囲だけでいるんだよ」
貞操帯を着けさせられ、それを不可視化させるのも許されなかった。
服を着られず、出かけることもできなかったのは、確かに不自由。
でもなぜ自分はこんなに不自由だと感じていないんだろう。
最初に主の許に来てから一ヶ月半近くの間、私は主以外の人とまったく会話していなかった。
まだ首輪とカフをつけていることに慣れておらず、この姿を他人に見られることへの羞恥心と恐怖感が強過ぎて、外へ出たくなかった。その頃は自由も不自由もない。ただ全て怖くて仕方なかったから。
(ようやく慣れてきてから、初めて主の友人たちの集まる場所に連れて行ってもらった時には、緊張したな・・・。)
今まで敬語を強制されたこともなければ、言葉遣いを直されることもなく(主のスイッチが入っているときは別か^^;)跪くことを強制されたこともない。
人前で主のことをご主人さまとは呼ばない。主の意向でもあり、私も同じ考え方。このブログは私たちのものだから、主と呼ぶし書くけれど、それを外でひけらかす必要はまったくない。
だけど、主は恋人であると同時に絶対の主だ。
「僕の言うことが絶対。しおりはそういう世界に来たんだよ」と最初に言い渡されている。
自分が主の奴隷だと自覚していても、不自由を強制されているとは思っていなかった。
主に「自由じゃない」と言われて気がついた。
確かに、買い物に気軽に行かれないのは不自由。
けれど事前にPGかMatureか調べて、Matureなら目的地の地図を表示させて人のいない時を狙えば、問題なく行かれる。
最初の一ヶ月半の間はその方法を思いつけなかったから、どこにも行かれなかった。
今はそれに較べたら、ずいぶん自由だ。
主は、私が自分を奴隷だと受け入れられるようになってからは、そうして私が出歩くのを禁止しない。ただ、危険だから一人のときはRestrained Life Viewerを使わないで通常ビューアで行くんだよと心配してくれている。
首輪とカフのせいでレンダリングコストが高い数値になってしまうので、この格好で人の集まる所には行かれない。
急に思い立ってトレハンに行くこともできないし、友人と会うにも場所を選ばないと相手にも迷惑をかけてしまう。
数え上げてみると、まだまだ色々と不自由はあるんだなと思う。
でも、私は自由だと感じてる。
それはきっと、何でも言えるから。
何でも言える自由の前では、私が許容しなければいけない不自由は大したことではないから。
主は最初から、全部受けとめると言ってくれた。
私はその言葉を嬉しく思ったけれど、でも最初は・・・お気持ちをありがたく頂戴するくらいの気持ちで聞いていた。
でも時間をかけて、主はその言葉が嘘でないことを証明してくれる。
このブログに書く内容を悩んだことがある。
その時、もうどうにもならなくなって、書きたいけど書いていいのかわからないことや思ってることをまとめて、先に主に読んでもらった。
それはとても恐ろしかった。サディストさんに喧嘩を売る内容もあったし(w)まだ私たちがたどりついていない所の話もあったし。
主がどう受けとめるのか、とても怖かった。
でも、全部読み終えて、主は「ありがとう」と言ってくれた。
とても嬉しいと。自分を理解してくれてありがとう、と言ってくれた。
思っていることを素直に言える場所なんかないんだよ、でもしおりにはそれが言える、それに感謝すると。
そうして初めて思った。
私は確かに強い拘束の下にある。
だけど、私が自分を表現することを、主は喜んでくれる。
私が私であることを喜んで、そういう私でいられるように受けとめ、守ってくれている。
確かに私は一つの自由を失った。首輪とカフをつけたアバターの体は、思いつきで動くことはできない。着るものも制限される。
でも、主の保護下で、私は精神の自由を得たのだと思う。
それこそが私のほしかったもの。
マゾヒズムなんて自虐や自己嫌悪ととても近い所にあるもの。
主の許に来て、私は少しずつ、そういう負の感情からも自由になりつつある。
拘束されていながら、深く解放されていく。
横に座っていたけれど、甘えたくて主の足許にいきたいとねだった。
足許に降りるのは、卑屈な思いではなく、もっと近くにいたいから。
黙って髪を撫でてくれることもあれば、テーブルの上のキャンドルを持たされて、燭台にさせられて楽しまれることもある。
何であってもかまわない。主が主でいてくれることが、私には何よりも大切なのです。