The Red Room
BDSMだけど穏やかな、二人で暮らす日々。
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匂い
以前、二人でのんびりしていた時、なぜかは忘れたけれど「何に惹かれるか」という話になったことがあった。
私は、いかにもMaster然としたSさんには惹かれない。
Mなら従うのが当たり前だと思っている、Mには何をしてもいいと思っているような人には全く欲情しない。
主もそうだけど、服装も普通で他人との接し方もまるで穏やかな人の方が、どんな欲望を隠し持っているのか興味をかきたてられる。
主は賢さを持った女がいいと言う。どんな経緯かわからなくとも、秘めた情念のようなものを持っているのを感じると、それが物凄くエロティックに見えると言う。
あっけらかんと興味津々なのはエロには違いないけど、自分にとっては何か違う気がする。秘めているものに支配欲をくすぐられると言う。
結局、二人ともに意見が一致したのは、自分の欲望を恥じている人の方がエロティックだということ。
「虐められている自分に酔うだけのマゾというのも当然いるし、それはそれでいいし」
「だけど、そういう自分をどこかで恥じている、そういうのを持ってるマゾもいて」
「僕はその方が好み」
「私Mなんですーって言う子は、得てして自分に酔う子だ」
「恥じている子は言わないw」
はい^^;
「でもそれも否定はしないんだよ」
「そういう種類の子も当然マゾには違いないんだよ^^」
そうですね、Sさんでも虐めてることだけが楽しくて、解放させることには興味のない人もたくさんいるし・・・それはそれで、やっぱりそういう方もSさんですしね。
「そうなんだよ」
「自分のストライクゾーンかどうかだけで」
はい^^
「しおりのことはともかくね」
「会社とかで見てても、もの凄い気が強そうで、多分男を寄せ付けないんじゃないか?って言われてるような人でも」
「マゾの気配を感じ取れる人っているんだよ」
「いや、逆に多いかもしれない」
そういうものですか?^^;
「うん^^ 自己防衛というか」
「仕事も男もそつなくこなしてきて」
「私はそういうのは関係も興味もありませんーみたいなのが」
「ふと崩れるポイントを持ってることがある気がしない?w」
わかりません、私には同性のことだもの^^;
「凜としててもう仕事もバリバリみたいな突っ張ってる奴が男に溺れるように」
「すぽってS男にはまると、もうぐちゃぐちゃになっちゃうみたいなw」
・・・そういうケースがあったのですね?^w^
「いや パターンなんだよw」
「女王様タイプに見えるんだけど、絶対違う」
「もう匂いでわかるんだよw」
匂い・・・
「うん^^ ホントのSだと察知するんだよ。ただその人のことが好きかどうかは別なんだけどね」
はい
「なんなんだろう。やっぱりどうしてもいまだに会社なんかは男社会だから」
「そこで自分を認めさせるには女王様タイプだと装うのが手っ取り早いからかな?」
「そんなことのために、つまんない女になるなよって僕は思ったりする^^;」
最初は装っていたつもりじゃなかったと思うのです。
ただ、普通になんでもちゃんとできなきゃいけないというハードルが高くて、
で、気がついたら女王様キャラタイプにされていて
そうしたらそうしたで、Mの自分を隠せるから、それもいいなあなんてなるのでは?
「僕なんかは、そういう女見ると可愛いと思う。幸せになれよって^^」
はい^^
「こんな事言っていても、要は女好きで、女の子は可愛いなって思ってるスケベなんだろうけどね^^;」
あははw
いいんです、私は女好きの男の人バンザイって想いますからw
「うん^^」
「すべての女の子に、その子にあった幸せをみつけてほしいね^^」
主らしい・・・と思った。
このブログを始めてから私たちにコンタクトをとってきてくれる女性は、決して少なくはない。
そういう女性たちに対する主の反応を傍らで見ていると、確かに「全ての女の子に~」という気持ちを感じる。
私が歯がゆく感じる程に、そういう時の主は、誠実な大人の男性。
仕えなさい服従しなさいと私に命じる人が、信頼に足る男性であることに安心する。
言いながら、それを時に恥じ、自分を笑う余裕があるのだからこそ、とても愛おしいのです。
誇り
しつこい程何度も書いているけれど、
私は奴隷になんかなりたくなかった。
私はただマゾヒストであるだけ。
調教という言葉も躾という言葉も、
聞きたくもなかった。
でも、一緒に過ごしていきたいと想った相手は、私にただ一つの条件をつきつけた。
奴隷になってくれ。
そのための全てを自分が引き受ける。だから、自分の奴隷になってほしい。
私はそれを受け入れた。
RLだったら絶対受け入れなかったと思う。
奴隷、調教、躾。どれも真っ平。
私は一人の独立した大人の女。
正体もわからない男の人に、何かを教えられる必要など全くない。
けれど、一緒に過ごしたいと想った相手がそれを望んで、
私はそれを受け入れるか、それとももうその人と会わないか、
それしか選択肢がなかった。
考えた末、SLだから、引き返すのも簡単だから・・・そう思って受け入れた。
実際に、この生活が始まって。
主は一緒にインしている間の全ての時間を私と過ごし、絶対に目を離さなかった。
閉じ込めるというよりは、ただ奴隷という未知の世界の恐怖に沈み込んだ私を支えてくれていたという方が正解だったと思う。
それにとても感謝している。
でも、冷静な私は、こう言う。
だってその恐怖を与えたのは主でしょう?
だったらそれから救うのも、主の義務の筈。
今は主を愛している私は、こう答える。
確かにそうだと思う。
でも、それができる人は、決して多くない。
というか、私は主以外に知らない。
仕えるってどういうこと。
どうすればいいの。
SMが愛し愛されるための自然な手段だった私にさえ、服従するのは辛かった。
最初の頃は屈辱と恐怖の中で、主の優しさだけでかろうじてつながっていたような気がする。
愛されていることがわかっているのに、素直に服従することができない自分、主の望むとおりの反応ができない自分をいやで、だめで辛いと泣いたとき。
私の気持ちを全部ゆっくりと言葉にさせ、それから主は穏やかに言ってくれた。
「だめな奴隷じゃないよ」
「それでいい」
「しおりに出会えて物凄い嬉しいよ^^」
そう言われて、初めて、主の思うような女になりたいと思った。
それが奴隷という立場でもかまわない。
それが、調教されることでもかまわない。躾けられることでもいい。
それで、その想いに応えられるなら、それを受け入れたいと思った。
調教や躾って、奴隷の型にはめられることだと思っていた。
でも、主が言う調教や躾は、そういう言葉を借りた、
「自分好みの女になってほしい」
ただそれだけの、簡単なことだったんだ。
「僕に仕えなさい」
主は最初の頃、よくそう言った。
それは、なんともかわいらしいことに、
「奴隷が主に仕えるように、自分を信頼してほしい、自分を何の疑いもなく愛してほしい」
そういう意味だったんだ。
それを主に、恐る恐る言葉にして聞いてみると、今頃・・・というように笑って、こう答えてくれた。
「そうだよ。だから」
「僕の奴隷は、僕の誇りなんだよ^^」
主は私を従え、それに責任を持ってくれている。
また冷静な私は、こう言う。
当然でしょう。
支配欲も征服欲も、責任をもたなければ、ただの戯言。
でも私はそれにこう答える。
そう、でも、なんて多くのSさんがそれができないか、よくわかっているもの。
自分だけを見ろ。自分の世界だけで生きろ。奴隷として生きろ。
自分がそういう無理を要求したから、それによって起きる問題は全て自分の責任。
全てを当たり前だと自然に引き受けてくれる。
だから私も全部捨てて来られた。
自分の価値観を変え、世界観を変え、主を主として仕えられる。
この会話は、もう3ヶ月も前のこと。
もう今は主も、私に仕えろとは言わない。
「いいんだ、究極的には心をしっかり縛り付けられれば」
「自然と自分が何をすればいいかが出てくる」
この時、そう言われた通りになった。
恋人を気遣うのと何も違わず、主に対して何をできるか考える。
どうそばにいたら主が喜んでくれるか考える。
それが結果的に仕えるという行為になっているようだけど、私はそれが実は今もわかっていない。
主が喜んでくれることだけが答え。
主はいつも穏やかにそばにいてくれる。
私を喜ばせ、私とともに過ごすことを喜んでくれる。
このしあわせに感謝する。
全部捨てて主と過ごせることを、誇りに思う。
このひそやかな生活を静かにここに綴っていくのは、ささやかな私たちの誇り。
プレイではなく
プレイという言葉を、私たちは使わない。
最初から、一度も使ったことがないような気がする。
確かに、私たちがやっていることは、主が自分をMasterに、私をslaveにキャストしたロールプレイに見えるかも知れない。
だけど、私たちは単にサディストとマゾヒストのシンプルな恋愛をしているだけ。愛し方愛され方が主従という形、内容だというだけ。
主は、行為をするために私をここに呼び寄せたわけではない。
「プレイではなく、しおりは奴隷として暮らすんだよ」
その言葉どおり、行為の相手としての奴隷ではなく、主従ごっこの相手でもなく、自分の足許で愛されて暮らす女を、跪いていることで心が安らぐ女を、恋人であり奴隷として探していた。
それが嘘でないことは、私にはよくわかっている。
プレイという言葉に含まれる遊びのニュアンスが、どうしても自分たちの愛し方と一致しないから、その言葉を使わない。
主は私を遊びにはならない程追いつめる。
愛しているから壊したいという想いと、愛したい大切にしたいという想い。
その間で、心を研ぎ澄まして私の様子を探りながら、深く深く追いつめてくれる。
遊びではできないと思う。
心の奥底、やわらかく人目には触れさせない場所を探り、さらけ出させるのだから。
少しでも間違えれば、深く傷つけて、取り返しがつかなくなるようなことをしているのだから。
優しい心の中の凶暴な想いと欲望、もしも拒まれたら自分が傷つくような狂おしいほど真剣な願いを、私に差し出してくれるのだから。
私にしても同じ。
蔑まれ縛られ鞭打たれ吊られるために体をさしだすのは、プレイという言葉のニュアンスでは私にはできない。
その内のいくつかは実際には命に関わることだから。
SLというフィジカルな危険がない世界でそれを安全に受けられてしまうことには、今でもとまどいがある。
アバターだから平気というほど冷めてはいないということかも知れない。
行為に伴う苦痛、屈辱、無力感。
それを快楽に変えてしまうのがマゾヒストだけど、でも心には酷いことも多い。
だから私は、それに快楽を覚える自分が恐ろしいし、恥じる。
同時に、口に出すべきではない欲望だととらえている。
無力感は自己嫌悪と自虐に直結するし、それが実際に表れた時は、心の奥底のことだけに極端な行動に走りやすい。
・・・やっぱり、遊びでやることじゃない。
プレイを望む人を否定しているわけではない。
ここはSL。欲望すべて楽しめばいい。人の欲望は快楽だけではない。虐めたい虐められたい、汚したい汚されたい、堕としたい堕ちたい。色々な表れ方がある。
主も私も全て肯定する。人それぞれなのだから。
主従だけにこだわり、恋愛を一切入れない関係の実現も、ここではRLよりずっと容易いような気がする。
体だけ快楽だけを求める関係も。
それだけをシンプルに楽しむこともあれば、その中でかけがえのない人に出会えることもあるだろう。
震えるような心の交歓が起きることもあるだろう。
体は生身とアバターと二つあっても、心は一つしかないのだから。
最近、このブログの読者ですと言ってくださる方からの連絡をいただくことが多くなりました。
BDSMのカップルのブログのくせに、過激な写真は少ないというのに^^;
ただの変態同士(w)の恋愛日記を楽しみに読んでいると言ってくださる方がいてくださることを、主も私も幸せに思います。
心からお礼申し上げます。
色々とご相談をお受けすることも多いのですが、二人ともどちらかというと人見知りをするので(恥)お会いしたときに十分なお返事をすることができないこともあり、心苦しく思っております。
その代わりになるかわかりませんが・・・。
男性も女性も同じ。SもMも関係なく。
自分が何をうけとるかということよりも、相手をどう受け入れるか、相手に何をしてあげられるか。それこそに神経を研ぎ澄ますもののような気がします。
自分が何を欲しいのか見極めることが一番大切では・・・そう私たちは思うのです。