The Red Room
BDSMだけど穏やかな、二人で暮らす日々。
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従順は諸刃の剣
「はい」「ありがとうございます」の夜から考えていたことがある。
羞恥心や屈辱感はマゾヒズムと切り離せないもの。
だけど、もしそのスイッチが入り過ぎていたら。
何をされても屈辱じゃないだろう。
はずかしさも感じないだろう。
主に使ってもらえて嬉しいだけ。
自分が何をしても、それは屈辱じゃない。
だけどそれは主にとって楽しいことでは決してない筈だと思う。
私の従順は主が楽しむため。
主が求めたもの。
けれど、もしかしたら。
私が従順でいようとすることは主を喜ばせることだろうけれど、
同時に主を退屈させることになるのかも知れないと思う。
ためらいもなく服を脱ぎ抵抗もなく足を開く女なんて、
誰が抱きたいと思う?
好きな女を苦しめ、本気で嫌がらせ泣かせることを楽しむ主。
ならば何を命じても「はい」と即答できる女なんて退屈なだけだろう。
きっと主の求めるものも矛盾している。
だけどそもそもサディズムもマゾヒズムも矛盾したもの。
大切にしたい痛めつけたい。笑顔を見たい苦しむ顔を見たい。
大切にされたい痛めつけられたい。笑顔でいたい苦しむ顔を見てほしい。
そこまでせずにいられない自分を受け入れてほしい。
私たちにとってはごく自然な感情、自然な愛し方。
主に充分に愛されていることをよくわかってる。
なのに私はいつだってもっと苦しめて、もっと罰をくださいと飢えている。
主は体に痛みを加えることは先に全て自分の体で試して限界を知っておく慎重で誠実なMaster。
だけどもう、マゾの私が耐えられる痛みは、多分主のそれを超えている。
あさましい。自分でわかってる。
それでも従順でいたい。
苦しまずに従えるようなことなら足りない。
そんなことで退屈させたくない。
苦しんで嫌がって屈辱に塗れ、それでも従えるのかと試されたい。
ああ、わかった。
私は従順さえ咎められたいんだ。
服従を求める理不尽から全てが始まっているのだから、
全てそのままに。
あなたの思うがままに。