The Red Room
BDSMだけど穏やかな、二人で暮らす日々。
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今ならわかるような気がするのです
もうずっとずっと前の話。
まだ私がここへ来たばかりの頃のこと。
主はにこにこと笑いながらいつも私にこう言っていた。
「悪いことをしたらお仕置きだよ」
主がお仕置きをしたいというのはわかってた。
でも私は悪い奴隷にはなりたくなかった、良い奴隷でいたかった。
その頃は友達も一人もいない、滅多に外にも出ない生活。
悪いことってどんなこと?
はしたない服を着て一人でBDSMのスポットに出かけてみる?
人の視線を意識しながら道具で遊んでみる?
もの欲しげにうろついてみる?
そんなことしたくない。
そんなことできるわけがない。
じゃあどうしたらいいのだろう?
良い奴隷でいること、お仕置きをされないようにすることで
主が私で楽しむことができないのなら、
私はやっぱり悪い奴隷だ。
どうしたらいいのだろう?
どうしたら悪いことをせずに主を楽しませることができるんだろう?
それがどうしてもわからず、泣いたことがあった。
もうずっとずっと前の話。
最近になってそのことを思い出した。
あの時わからなかった主の望みを、私はどうしたらよかったのかを、
今ならわかるような気がする、と。
してはいけないことをする必要があったんじゃない。
良い奴隷でいようとしたのはきっと間違ってない。
今ならわかる。良い奴隷のまま悪い奴隷になればいい。
従順で卑しく、欲しがりのはしたない奴隷になればいい。
どれだけ主を欲しがっているかさらけ出して、
その淫らさを主に罰してもらえばいい。
主の快楽のために何でもする淫らを罰してもらえばいい。
きっとそういうことだったんだ。
主は笑って答えてくれた。
「そうだよ。今もそうだ」
「だからしおりは何をしても叱られるとも言える」
「しおりがするはしたないことを俺は喜んでいるとも言える」
「矛楯のなかで戸惑うしおりの姿を楽しむために、振る舞いや躾は厳しくして」
「叱る。はしたないと叱り、もっとはしたなくさせる」
「矛楯。まさに矛楯を楽しんでるんだな」
あの頃わからなかったことが、今ならわかる気がする。
蔑まれ貶められる屈辱に酔い、苦痛を快楽にかえるマゾヒズムを恥じ、恐れてた。
罪深いと思っていた。
それは今も変わらない。
でも、主は私を罰してくれることで、私の罪を負ってくれる。
主によって許される。
そう私は許されたい。罰されたい。
「悪いことをしたらお仕置きだよ」と笑う主が、
女を罰し許すことで愛おしみたいように。
従順に、教えられた淫らな楽しみに中毒していけばいいんだ。
許されるためには罪が必要なのだから。
最低の淫乱奴隷と咎められることが、最高に愛されること。
主の矛盾に溺れていればいいんだ。